うぐいす
2月11日、仕事が終わってJR西宮駅19時31分発西明石行き各駅停車に乗った。
おやっ!
車内放送のアナウンスの美しさに、身体の中に衝撃が走った。
今までにこんなに美しい、ハッキリとした聞きやすい車内放送、しかもJRの車内で聞いた事がなかった。
以前から、電車内の放送が、聞き取りにくく、滑舌が悪く、しかもマイクロフォンの使い方もなってない、そんな案内放送ばかり聞かされていたので、最初聞いたときは自動放送かと思った程だ。
しかもその車掌さんである放送主(女性)の優しさまで伝わってくるのである。
聞いているだけで、うっとりして、疲れを忘れてしまう。
個人的意見であるので、客のみんながそう思ったかどうかは知らない。
しかし、言葉を大事に使う人がJRにもいらっしゃった事が嬉しい。
芦屋駅で快速に乗り換えず各駅停車に乗り続けた。
こんな電車なら、乗りたくなる。
筋肉痛
畑の収穫で鎌や鍬を使って筋肉痛になっているそうだ。
そりゃそうだ。
都会の日常生活では考えられない。
たとえ郊外に畑を借りていても、延々と続く西表のサトウキビ畑とは比較にならない作業であろう。
腕の筋肉痛は当然のこと、脚も腰も大変なことになりそう。
鎌や鍬の柄を軽く持つ事が、合氣道の練習になると言っているところが彼本来の前向きな性格を物語っているように思う。
がんばれK君。
とれたての美味しい野菜をたくさん食べてひとまわり大きくなれ。
豆まき
2月2日は節分です。恵方は南南東。
節分と言えば思い出すことがある。
大学生の時、埼玉の朝霞市に住んでいた。
志木駅から自宅のアパートまでは歩いて20分。
アルバイトを終えてテクテクと自宅まで歩いていた。
狭い舗装されていない土の道。
もう少しで到着だと思ったとき、右側の二階建て住宅の玄関の扉が開いたかと思うと、
「鬼わ〜そと!」と子供とお母さんらしき人の声。
投げられた豆が僕の足元まで飛んできた。
辺りはもう暗かったので多分僕の存在には気が付かなかっただろう。
ほのぼのとした親子の豆まきに、鬼になるのも悪くないなと思った瞬間だった。
さて、K君から便りがあった。
既に気温は25度で暑いようだ。
一日8時間ほどのサトウキビ狩りに励んでいるようだ。
あまり頑張りすぎないようにね。
先は長いよ。
おおさむ
新型コロナウイルス感染拡大の中、免疫力が自分の身体を守ってくれているのだとおもう。ステイホームで運動することが減ってきたが、心まで運動不足にならないように。
心の運動不足とは好奇心をなくしてしまうこと。
人を貶すことは簡単だし、人の言ったことに反対するのには頭は使わない。否定すればいいのだから、ますます心を使わなくなってしまう。
「ない」からは何も生まれない。
「ノー」は変化を否定する。
相手の話を初めからノーの気持ちで聞いていると何も変わらないし何も生まれない。「あるなあ」と言う気持ちで聞いていると生まれてくるものがある。
新しい何かがヒョコッと芽生えて来るのがわかるし、それを大事に育ててみようとおもわない?
否定するより遥かに大きなエネルギーを必要とするのだけれど。
道端に落ちているゴミを拾うにも意外と力を使うものなのよ。
近づいていって腰をかがめて指で摘んで駅のゴミ入れに運ぶ。
すると、その手の中のゴミは既に資源という姿に生まれ変わっているんよ。
他を否定することで自分の立場を確保しないでよ。「イエス」と言ってからお互いの立場を探してゆけば痛みは減るはず。もちろん大変な時間がかかるけど。